東京に初雪が降った翌日、昨日の夕方、
溶け残った雪が道のはじっこに積んであった。
雪のようにまだ白いのだけれど、かなりかたまっていて、ほとんど氷みたい。
そこには、小学校1年生くらいの男の子と、その妹とお母さん。
男の子はしゃがんで雪を触っている。
、、、と、その雪の板状の大きなかたまりを手に持って立ち上がった。
その途端、お母さんが
「それは車には持っていけないからね!」と大きな声で言った。
このお母さんはあまり大らかなタイプではないらしい。
あらやだ、なにもそんなに間髪入れずに言わなくても、
と私が思ったのと同時に
その男の子はちょっとカリカリとしたお母さんに向かって
あ、そうか、というニュアンスで「溶けるから?」と聞いた。
彼はわりと大らかなタイプらしい。
するとお母さんは言い返した。
「溶けるからじゃないわよ!車のなかがぐちゃぐちゃになっちゃうじゃない!」
いやいや、だからそれ、「溶けるから」で合ってるでしょ?
溶けるからぐちゃぐちゃになっちゃうんでしょ?
他人から見た一瞬の限りだけど
男の子は「持って行く!」と、わがまま言いそうな顔をしていて、
しかしその実、全然そんなことはなくて、
溶けるからダメなんだということを理解しているようだった。
ただし、とりあえずお母さんがダメと言っている理由を
「溶けてなくなってしまうから」と理解しているように見えたのがかわいい。
もちろん、お母さんにとっての論点は「なくなってしまうから」ではなく、
「(溶けて)車の中が水浸しになるから」である。
それで、お母さんの方も、息子の理解が少しズレていることを察知しているからこそ
「溶けるからじゃなくて、ぐちゃぐちゃになるからだ」という反論をしたのだと思う。
そのあたり、とても微妙なのだけれど
お母さんのその反論は、逆に男の子の頭のなかにハテナを呼び起こすように私には思えて
この場合、本当は「そう、溶けるから。溶けたら車のなかがぐちゃぐちゃになっちゃうから」
と、筋を通して話した方が、案外彼にはわかりやすいんじゃないかなあ、
なんてことを考えながら、この親子の横を通りすぎた。
まあね、勝手な想像だけど
もしかすると普段からお母さんには、
自分の意図と、彼の大らかな考えや発言とが
うまく噛み合わないという経験が積み重なっていて、
別にそれはどちらが悪いという話でもなく、単なる性格の相違なんじゃないかと
これもまた想像なんですけれどもね、そんな風に思うんですけど、
とにかくそんなことばかりがあるものだから、
彼の発言自体は間違っていなくても、話の焦点のズレが気になって
そちらを訂正するという習慣がついてしまっているのかなーとか。
そういう家族関係を短時間で想像して、
結局のところ、私は楽しかったです。