人はどうしてそんなに音楽が好きなのか。
それは音楽が好きだということなのか。
以前も書いているのだけれど、いつになっても本当のところが全然わかりません。
音楽にはいい瞬間がたくさんあって、世界の中で音楽こそが成し遂げていることがあるとは信じている。
それに日常的にも、音楽やってるときには、音楽いいな、と思うことはもちろんあって、
でもそれでも、音楽好きですか?と聞かれると、答えには迷う。
いつでも音楽がなければいられないタイプじゃないのは明らかだ。
好きな音楽はあるけどね。
すごく好きな音楽もあるけどね。
それで、なんでそんなこと言ってるかと言ったら、電車の発車メロディーですよ。
駅でよくわからないメロディーが鳴るようになって、一体どのくらいの年月が過ぎたんでしょうね。
いい加減慣れたので、仕方ないとは思うものの、好きとは思えない。
発車ベル音、よかったのにな。
でね、丸ノ内線はずいぶん最近までプーーーーーという電子音のベルだったけど
ある時乗ったら音楽になっていて、「丸ノ内線よ、お前もか」と思った。
しかしそれも最近と思ってるけど、もう10年くらい経っちゃってたりしそうね、、、。
それでね、数日前に東西線(東京メトロ)に乗ったらですね、
これまた発車ベルが!メロディーになっていたんですよ!一体いつから!
それでねそれでね、ほんとにこれがね、ほんとにこれがもうね、
ああ、具体的には思い出せないんですけど、これがね、ああ、、、
ちょっと打ち込みのカラオケ風味の音質、曲調でね、
まあね、私の個人的な好みの問題なのかもしれないですし、
あまりはっきりとした強い言葉は控えましょうと思いますけれどもね、、、
唱歌的でも童謡的でも演歌的でも阿波踊り的でもアトム的でもエビスビール的でもなく
ああ、すでに発車メロディーは次の段階に入っていたのですよ、私の知らぬ間に。
でも、でも、そうなると立ち戻ってしまうのは、
どうしてベル音じゃいけないのかなあっていうところね。
みんな電車で、駅ごとに音楽を期待してるの?
人それぞれの好みってどうなっちゃうの!?
音ってなかなか排除しにくいから、これはある種の暴力ではないの!?
電車で仕事とか勉強とかしてる人がいるでしょ、その一環で私は楽譜を見てることがあるけど
2〜3分毎に関係ない音楽が鳴るのは、けっこう迷惑。
世の中には音楽と善を同一視しすぎるきらいがあるね。
音楽好きな人に悪人はいない。は、地続きだ。
んなわけない。
発車メロディーの中には、善人か悪人かで言えば明らかに「善人」な感じのものも多いし、
私としても、ある種の愛嬌みたいなものを感じ取ることまでを拒否しているつもりはないけれど
でも人々が善意を表す道具として音楽を使おうとすることには
もう付き合いたくないと思ったりしている。
以前、とある大きな街の駅前で、平和のためのイベントをやっていてね。
「すべての武器を楽器にかえて」みたいなキャッチフレーズだったんだけど、
そこで歌い、奏でられている音楽がものすごくうるさい。
私はブツブツ言いながらも遠回りして別の口から駅に入ったけれど
この日、この平和イベントは、こんなにも平和主義な私に、
「すべての楽器を武器にかえて撃ってやる!」という、
笑っちゃうくらい反社会的なキャッチフレーズを掲げさせた。
音楽って、なんなんだろうなあ。
難しいなあ。
それは音楽が好きだということなのか。
以前も書いているのだけれど、いつになっても本当のところが全然わかりません。
音楽にはいい瞬間がたくさんあって、世界の中で音楽こそが成し遂げていることがあるとは信じている。
それに日常的にも、音楽やってるときには、音楽いいな、と思うことはもちろんあって、
でもそれでも、音楽好きですか?と聞かれると、答えには迷う。
いつでも音楽がなければいられないタイプじゃないのは明らかだ。
好きな音楽はあるけどね。
すごく好きな音楽もあるけどね。
それで、なんでそんなこと言ってるかと言ったら、電車の発車メロディーですよ。
駅でよくわからないメロディーが鳴るようになって、一体どのくらいの年月が過ぎたんでしょうね。
いい加減慣れたので、仕方ないとは思うものの、好きとは思えない。
発車ベル音、よかったのにな。
でね、丸ノ内線はずいぶん最近までプーーーーーという電子音のベルだったけど
ある時乗ったら音楽になっていて、「丸ノ内線よ、お前もか」と思った。
しかしそれも最近と思ってるけど、もう10年くらい経っちゃってたりしそうね、、、。
それでね、数日前に東西線(東京メトロ)に乗ったらですね、
これまた発車ベルが!メロディーになっていたんですよ!一体いつから!
それでねそれでね、ほんとにこれがね、ほんとにこれがもうね、
ああ、具体的には思い出せないんですけど、これがね、ああ、、、
ちょっと打ち込みのカラオケ風味の音質、曲調でね、
まあね、私の個人的な好みの問題なのかもしれないですし、
あまりはっきりとした強い言葉は控えましょうと思いますけれどもね、、、
唱歌的でも童謡的でも演歌的でも阿波踊り的でもアトム的でもエビスビール的でもなく
ああ、すでに発車メロディーは次の段階に入っていたのですよ、私の知らぬ間に。
でも、でも、そうなると立ち戻ってしまうのは、
どうしてベル音じゃいけないのかなあっていうところね。
みんな電車で、駅ごとに音楽を期待してるの?
人それぞれの好みってどうなっちゃうの!?
音ってなかなか排除しにくいから、これはある種の暴力ではないの!?
電車で仕事とか勉強とかしてる人がいるでしょ、その一環で私は楽譜を見てることがあるけど
2〜3分毎に関係ない音楽が鳴るのは、けっこう迷惑。
世の中には音楽と善を同一視しすぎるきらいがあるね。
音楽好きな人に悪人はいない。は、地続きだ。
んなわけない。
発車メロディーの中には、善人か悪人かで言えば明らかに「善人」な感じのものも多いし、
私としても、ある種の愛嬌みたいなものを感じ取ることまでを拒否しているつもりはないけれど
でも人々が善意を表す道具として音楽を使おうとすることには
もう付き合いたくないと思ったりしている。
以前、とある大きな街の駅前で、平和のためのイベントをやっていてね。
「すべての武器を楽器にかえて」みたいなキャッチフレーズだったんだけど、
そこで歌い、奏でられている音楽がものすごくうるさい。
私はブツブツ言いながらも遠回りして別の口から駅に入ったけれど
この日、この平和イベントは、こんなにも平和主義な私に、
「すべての楽器を武器にかえて撃ってやる!」という、
笑っちゃうくらい反社会的なキャッチフレーズを掲げさせた。
音楽って、なんなんだろうなあ。
難しいなあ。
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by rekinokoyomi
| 2018-01-21 01:45
| これは音楽のことかもしれない