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暦の暦(れきのこよみ) rekikoyo.exblog.jp

歌手です お話するよ


by rekinokoyomi
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いままで何回も、何十回も、何百回も?は大げさかな、いや、大げさじゃないかな、
わかんないけど、相当回数渡ってきた渋谷のスクランブル交差点。
近頃じゃ、もう渡りたくないなと思っている。

渡るたびに、誰か知らない人、それは知らない外国人、知らない観光客、
そして知らない取材カメラに撮られている。
結構、負担。気持ちが安らがない。
世界のどこかでしかめつらした私の写真や映像が見られるのもイヤだし
といってごきげんなニコニコ顔ならいいかというと、そういうものでもない。
ただの通りすがりだもの、ただの風景なんだもの、その時、私は。
神経質だとか、過敏すぎるとか、ノイローゼだとか、
そんなこと言われたって、私がイヤなんだから仕方ない。

でも「仕方ない」に関して言えば、渋谷駅前のスクランブル交差点は、
世界に名が知れているかはよく知らねども
たぶん国内外問わず、東京のガイドブックに載っていないわけない観光地なのだから、
まさにあそこに集まるなとか、あそこで写真撮るなとか、そんなことは言えないのだ。
こちらも仕方ないのだ。
エッフェル塔の下で写真撮るなと言われても、
グランドセントラル駅前で写真撮るなと言われても、
大英博物館前で写真撮るなと言われても、ねえ、それはねえ、言えないわねえ。
というか、撮りたくなる人々の気持ちはわかる。
取材のカメラは違うけども(しょっちゅう撮ってるけど、使い回しじゃダメなの?)
外国の人々なんて、みんなすごいうれしそう。ハッピー!って顔してる。
もちろんそれ自体はイヤじゃないのだけど。いや、どっちかっつったら好きなんだけど。

それで、こんな風に負担に思っているのなら
スクランブル交差点は、近くに別の交差点だってあるし、なんなら地下道だってあるわけだし、
これからはなるべく、なるべく、あの駅前の交差点を上手に避けよう、と心の中で私は決めました。
特に日中、街から駅へ向かって渡るのはやめよう。
駅側から街側を狙って撮っている人が多いからね。

で、仕方ない仕方ないの行ったり来たりであっても
こんなこと思ってるってヒステリックだなと実はまったく思わないわけでもないんだけど
じゃあ、どういう状況ならいいのかしらと思うと、
あのハッピー!な顔してる観光の人々が直接私に声かけてくれて、
一緒に写真撮ろうよ!とか言ってくれるんだったらね、ずいぶん気分が違う。
連絡先を交換しなくても、その後の未来に一度も出会うことがなくても
思い出とともに私の顔を、私という一人の人として認識して見てくれるのなら、わりといい感じ。
その時には私もきっと、ちゃんと意味のある、ごきげんなニコニコ顔ができるだろうし、
「いい旅を!」なんてことを言って、手を振ってわかれることもできる。

かもしれない。
人にもよるけど。
って、当たり前だけど。
だから断ることだってあるわけだけど。

そんなこと考えるとやっぱり結構面倒だから、
結局は他の交差点と地下道を駆使しちゃうんだけど!



# by rekinokoyomi | 2018-10-15 20:04 | なんてことない話
ホームタウンの駅の近く。
向こうから親子が手をつないで歩いてきた。
小学校一年生の男の子と、そのお父さんだ。
小学校一年生というのは、聞こえてきた会話から推測した。
お父さんは若くて、細い眉毛に細いフチのメガネ、細い口ひげにダボッたファッション。
(「ダボッた」という言葉はいま作りましたが、ダボっとしている、という意味です。
 とってもとってもよく出来ている気がする。自画自賛です。)
そう、お父さんはちょっとコワモテ。
いや、有り体に言えば、ヤンキーのままの趣味とビジュアルで大人になった方。

私はとっさに、このお父さんが怒ったら、めちゃくちゃ怖そうだな、
この子も「お父さん怒ったら怖い」と思ってるだろうな、なんてことを思ったけれど
会話の雰囲気は普通の親子で、男の子はお父さんと一緒でうれしそう。
つまり幸せ。

でも、すれ違いざまに聞こえてきた会話が特徴的で、私の耳はピクピクッとした。
お父さんが男の子に聞いた。
「それ、○×△☆?」
私、なんて言ったかよくわからなかった。
男の子もわからなかったようで、「え?」と聞き返した。
お父さん、同じことを繰り返した。
「パイセン?」
男の子、もう一度「え?」と聞き返した。
私はわかったけど、耳を疑ったので心の中で「え?」と聞き返した。
お父さんは言い直した。
「先輩?」
男の子は「二年生」と答えた。

じゃああなたはいま話題に上っている子の後輩なのね。じゃあきっと一年生ね。
ト、これは私の推測。

ということで、男の子は小学校一年生。
お父さんと一緒でとてもうれしそうな、雰囲気も見かけも普通の男の子。
でも、お父さんの英才教育は日常のなかに静かに潜んでいる。


# by rekinokoyomi | 2018-09-13 00:17 | 昨日とか今日のこと
今日、2018年8月17日、ちょいと遅めの午前中に外に出て
あ、もう秋だ、と思いました。
大げさかもしれないけれど、でも昨日とは全然違ったから。
光の色と角度と眩しさが、もう夏じゃなかったの。

この夏は、東京の郊外の始まりみたいな我が家の近所の温度計ですら
7月のうちに37度とか38度とか、挙句の果てには39度という
見たことのない数字を叩き出し、
私に、いつかの未来の夏、この猛烈な暑さのせいで
私の身に大変なことが起こるのではないかと想像させた。

「これでも夏が好きなのかなあ」と私のことを思い出した、と言ったのは仲よしの友人。
「暑くてつらい」と言った私に「夏が好きだったんじゃないの?」と言ったのは母。
そして、「これでも夏が好きなのか?私は?」と思ったのはもちろん私です。

そろそろ夏が好きかどうか、怪しくなってきました。

と思っていたのは確かで、よく覚えているのですが
8月上旬を乗り切ったあと、最高気温が35度以下に落ち着いたあとは
それだってむかしに比べたら相当暑いはずなのに、喉元過ぎればなんとやらです。
やっぱり夏が好きみたいなのです。
空が青くて雲が白くて、
一年でいちばんいい季節は5月だと本気で思っているにもかかわらず
なにより私は夏の服が好きで好きで大好きで、
吹き渡る風のなか、その服を着て歩いたらもう、
やっぱり一年中夏でもいいなと思ってしまうのです。

そして今日、実は少し予感のあった数日前から、もう寂しくなっている。
もう明らかに盛夏ではなくて、これは残暑で、秋への第一歩。
光の色が違って、角度が違って、眩しさが全然違う。
夏が終わる。
あまりにも暑かったつらい夏。
いつか夏に殺されるかもしれないと初めて本気で思った夏。
今年も夏が終わる。
もうすぐだよ。
# by rekinokoyomi | 2018-08-18 01:44 | これは夏の話です

甘えつつの楽しい作業

風邪です。
えへへ。

このあいだの冬は、11月の上旬、12月の上旬、1月の上旬に
それぞれ二週間から三週間つづく風邪をひきました。
えっ、じゃあ風邪じゃなかった時間ってすごく短いじゃないですか。
はい、そうなんです。
私のことですから真冬なんてとても気をつけて過ごしているのに
治ったぜーいと思ってしばらく経つと、また「んん?」という朝がくる。
幸い普通の風邪だったけれども、ほんとに咳ばかりの冬でした。

それで、1月末から二ヶ月半以上わりと調子がよくて
もう「風邪」なんてものの存在も忘れていた10日ほど前。
気温23℃くらいがつづいていたのに突然17℃みたいになったんです。
ちょっと寒いな、、と思ったんですよ、思ったんですけどはっきり気づかなかった。
そしたら翌朝、あの「んん?」です。ひいちゃったんです、風邪。
あーあ、もう。

まずはノド痛がらはじまったのだけれど、ゴマ化しながらウィークデイを過ごしてたら悪化した。
それ以来、次に咳、そのうちくしゃみとハナに悩まされ
今はハナをかんでる途中、ティッシュでハナをはさんだ状態のまま
「ちょっと待ってちょっと待って」って感じで咳したりだとか
咳が落ち着いたら仕切り直しでハナかみの続きをしたりだとか。
そんな感じ。

土日はでき得る限り予定をキャンセルして在宅。
やらなきゃいけない宿題がいろいろあるんだけども、だるーの気持ちで全然やる気が出ず。
まだやばいなー、在宅したいなーと思いながら出掛けざるを得ず外出した月曜。を、経ての、
今日、やるべきことにやっと着手。

それは、5月19日に控えているコンサートのための作業です。
今回はプログラムに英語の歌詞の訳をね、載せてみようかと思って。
久しぶりに英和辞典を出してきて、ペラペラペラ。(喋る音ではなくページを繰る音)
自分で意味がわかればいいだけならネットでちょちょいと調べればいいんだけど
訳して文章にするとなるといろんな意味とか凡例とかたくさん見たいし、紙の辞書。
あ、もちろん電子辞書も持ってますよ。
持ってるんですけど、いざ使おうと思うと
電池が切れてるってことがわりと頻発するんですっかりイヤんなっちゃって、
となるとますます使わないからいざ使おうと思うと電池が切れていてイヤんなっちゃう。
の繰り返しで結局、紙の辞書を出してきちゃいます。
でもね、久しぶりに繰るといいものですね、紙も。

それでね、肝心の訳詩なのですが、これが意外に楽しい。
英文を訳すのが楽しいだなんて、そんな都合のいいことがあるのか、私の人生に!
どうも詩だからのようなんですね。
なんとなく抽象的な部分があったりだとか
文章だってきちんとはじめから終わりまで通ってるわけじゃなかったりするから
好きなように、訳せる。

いやいや、もちろんいい加減にはやってなくて
どうしたらいい感じの言葉になるのかな、とか、気になることはたくさん。
修飾部が長すぎると何が言いたいのかわからなくなるから
どこで折り合いつけるべきかと考えたりだとか
まあ外国語を訳すときの問題みたいなものがフツーに出てくるのだけど
詩だと折り合いつけやすいのかな。
いろんな言葉の工夫もしているのだけど、意外に面倒ではなくて楽しく感じられる。
これはよい発見。

まあ、私の解釈が間違ってたらごめん、なんだけど、
それでも、詩の、詩としての曖昧さによって
私の「訳が間違ってる」の域ではなく「解釈が間違ってる」の域に入れそうなあたり。
そして、もしかしたら大きく文法からして
「訳が間違ってる」なんてこともしちゃってそうな気はするけれども
とにかく目的は、私が歌っている時に聞こえてくる単語を
なんとなく意味として拾ってもらうことが第一目標だから、許してもらえるかな、、、なる甘え。

あと、もう一つ楽しいのは、きちんと言葉にしていくと
全体を自分もゆっくりとさらに理解するようになって、
(それが間違っていたとしても)一つの筋が通るというか
明確になっていくのがとてもいいね。
きっと歌っているときの、目の奥に浮かぶ景色や、脳に感じる匂いなんかも変わってくる。

どの歌もだいたい詩は10行前後。
明日、最後の一曲を訳したら終わりー。
幸い楽しんでるし、さっさと済ませちゃおっと。
# by rekinokoyomi | 2018-04-25 01:04 | 昨日とか今日のこと

目の前の暗闇

夜眠る時に目を瞑ると、目の前に暗闇が広がる。
つい数日前、久しぶりにその暗闇をまじまじと見た。
ほんとに久しぶり。
子供の頃は、その暗闇、暗闇の中に浮かぶ形、
そんなものを目を瞑りながら目を凝らして毎晩見ていた。

それから、同じく目を瞑った状態でも、何も見ないことができる。
同じ暗闇なんだけど、何も見ていない、何も見えていない暗闇。

数日前にはそのことも思い出して、目の前に広がる暗闇を見たり
暗闇を見えなくしてみたり、意識的にやってみた。
これをするのも本当に久しぶり。

子供の頃は、毎晩やっていた。
いまや暗い部屋のなかで目を瞑って眠りにつこうとすることに
すっかりすっかり慣れてしまったのだ。
むかしは、それだって発見の連続で、不思議なことがいっぱいあったのだ。

で、この二種類の闇の謎については、子供の頃の私も今の私も同じ意見。
というか、同じようにしか思い様がない。
目の前に暗闇が広がる時は、たぶん目は前を向いて瞼の裏側を見ようとしている。
見えない暗闇になる時は、たぶん目は何も見ようとしていないから上に向いている。
上を向いてる、ってつまり、結構ホラーな雰囲気の、指で目を開いたら確実に白目。
なのではないでしょうか。

だいたいみなさん、私が言ってる、この目を瞑った時の
「目の前に広がる暗闇」と「何も見ていない暗闇」についてわかるのかしら?
だってこんな話、他の誰にも確認したことないんだもの。
当然のようにみんな同じなのか、意外にそんなもの見えていないのか、まったく見当がつかないよ。

ついでにもう少し言えば、
目の前に広がる暗闇には、うにゃーんと動く形みたいなものも見えてね、
それは例えば明るいところで目を瞑った時に光の部分が残って見えるのとほとんど同じなんだけど
でも目を開けても暗い部屋の中にはそれらしい光も特にはないから、
あの瞼の裏で動くものの元の形は何から来ているのだろう。
それは、雲が数分後にはすっかり違う形になってしまうのと同じ様にどんどん変化していく。
自分の動かしたいように動かせるような、まったくダメなような。
そんなことを考えているうちに、眠ってしまう。

ついでにさらにもう少し言えば、
本当に不思議なのは、見えていない方の暗闇。
目があって、何も見えていないって、それってなんなんだろうと考え出したら
むかしも今も、眠れなくなる。

でも、
何も見えない、を
本当に
上手にできる
と、
あっという

に、













# by rekinokoyomi | 2018-03-22 23:27 | なんてことない話