暦の暦(れきのこよみ) rekikoyo.exblog.jp

歌手です お話するよ


by rekinokoyomi
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

甘えつつの楽しい作業

風邪です。
えへへ。

このあいだの冬は、11月の上旬、12月の上旬、1月の上旬に
それぞれ二週間から三週間つづく風邪をひきました。
えっ、じゃあ風邪じゃなかった時間ってすごく短いじゃないですか。
はい、そうなんです。
私のことですから真冬なんてとても気をつけて過ごしているのに
治ったぜーいと思ってしばらく経つと、また「んん?」という朝がくる。
幸い普通の風邪だったけれども、ほんとに咳ばかりの冬でした。

それで、1月末から二ヶ月半以上わりと調子がよくて
もう「風邪」なんてものの存在も忘れていた10日ほど前。
気温23℃くらいがつづいていたのに突然17℃みたいになったんです。
ちょっと寒いな、、と思ったんですよ、思ったんですけどはっきり気づかなかった。
そしたら翌朝、あの「んん?」です。ひいちゃったんです、風邪。
あーあ、もう。

まずはノド痛がらはじまったのだけれど、ゴマ化しながらウィークデイを過ごしてたら悪化した。
それ以来、次に咳、そのうちくしゃみとハナに悩まされ
今はハナをかんでる途中、ティッシュでハナをはさんだ状態のまま
「ちょっと待ってちょっと待って」って感じで咳したりだとか
咳が落ち着いたら仕切り直しでハナかみの続きをしたりだとか。
そんな感じ。

土日はでき得る限り予定をキャンセルして在宅。
やらなきゃいけない宿題がいろいろあるんだけども、だるーの気持ちで全然やる気が出ず。
まだやばいなー、在宅したいなーと思いながら出掛けざるを得ず外出した月曜。を、経ての、
今日、やるべきことにやっと着手。

それは、5月19日に控えているコンサートのための作業です。
今回はプログラムに英語の歌詞の訳をね、載せてみようかと思って。
久しぶりに英和辞典を出してきて、ペラペラペラ。(喋る音ではなくページを繰る音)
自分で意味がわかればいいだけならネットでちょちょいと調べればいいんだけど
訳して文章にするとなるといろんな意味とか凡例とかたくさん見たいし、紙の辞書。
あ、もちろん電子辞書も持ってますよ。
持ってるんですけど、いざ使おうと思うと
電池が切れてるってことがわりと頻発するんですっかりイヤんなっちゃって、
となるとますます使わないからいざ使おうと思うと電池が切れていてイヤんなっちゃう。
の繰り返しで結局、紙の辞書を出してきちゃいます。
でもね、久しぶりに繰るといいものですね、紙も。

それでね、肝心の訳詩なのですが、これが意外に楽しい。
英文を訳すのが楽しいだなんて、そんな都合のいいことがあるのか、私の人生に!
どうも詩だからのようなんですね。
なんとなく抽象的な部分があったりだとか
文章だってきちんとはじめから終わりまで通ってるわけじゃなかったりするから
好きなように、訳せる。

いやいや、もちろんいい加減にはやってなくて
どうしたらいい感じの言葉になるのかな、とか、気になることはたくさん。
修飾部が長すぎると何が言いたいのかわからなくなるから
どこで折り合いつけるべきかと考えたりだとか
まあ外国語を訳すときの問題みたいなものがフツーに出てくるのだけど
詩だと折り合いつけやすいのかな。
いろんな言葉の工夫もしているのだけど、意外に面倒ではなくて楽しく感じられる。
これはよい発見。

まあ、私の解釈が間違ってたらごめん、なんだけど、
それでも、詩の、詩としての曖昧さによって
私の「訳が間違ってる」の域ではなく「解釈が間違ってる」の域に入れそうなあたり。
そして、もしかしたら大きく文法からして
「訳が間違ってる」なんてこともしちゃってそうな気はするけれども
とにかく目的は、私が歌っている時に聞こえてくる単語を
なんとなく意味として拾ってもらうことが第一目標だから、許してもらえるかな、、、なる甘え。

あと、もう一つ楽しいのは、きちんと言葉にしていくと
全体を自分もゆっくりとさらに理解するようになって、
(それが間違っていたとしても)一つの筋が通るというか
明確になっていくのがとてもいいね。
きっと歌っているときの、目の奥に浮かぶ景色や、脳に感じる匂いなんかも変わってくる。

どの歌もだいたい詩は10行前後。
明日、最後の一曲を訳したら終わりー。
幸い楽しんでるし、さっさと済ませちゃおっと。
[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-04-25 01:04 | 昨日とか今日のこと | Trackback | Comments(0)

目の前の暗闇

夜眠る時に目を瞑ると、目の前に暗闇が広がる。
つい数日前、久しぶりにその暗闇をまじまじと見た。
ほんとに久しぶり。
子供の頃は、その暗闇、暗闇の中に浮かぶ形、
そんなものを目を瞑りながら目を凝らして毎晩見ていた。

それから、同じく目を瞑った状態でも、何も見ないことができる。
同じ暗闇なんだけど、何も見ていない、何も見えていない暗闇。

数日前にはそのことも思い出して、目の前に広がる暗闇を見たり
暗闇を見えなくしてみたり、意識的にやってみた。
これをするのも本当に久しぶり。

子供の頃は、毎晩やっていた。
いまや暗い部屋のなかで目を瞑って眠りにつこうとすることに
すっかりすっかり慣れてしまったのだ。
むかしは、それだって発見の連続で、不思議なことがいっぱいあったのだ。

で、この二種類の闇の謎については、子供の頃の私も今の私も同じ意見。
というか、同じようにしか思い様がない。
目の前に暗闇が広がる時は、たぶん目は前を向いて瞼の裏側を見ようとしている。
見えない暗闇になる時は、たぶん目は何も見ようとしていないから上に向いている。
上を向いてる、ってつまり、結構ホラーな雰囲気の、指で目を開いたら確実に白目。
なのではないでしょうか。

だいたいみなさん、私が言ってる、この目を瞑った時の
「目の前に広がる暗闇」と「何も見ていない暗闇」についてわかるのかしら?
だってこんな話、他の誰にも確認したことないんだもの。
当然のようにみんな同じなのか、意外にそんなもの見えていないのか、まったく見当がつかないよ。

ついでにもう少し言えば、
目の前に広がる暗闇には、うにゃーんと動く形みたいなものも見えてね、
それは例えば明るいところで目を瞑った時に光の部分が残って見えるのとほとんど同じなんだけど
でも目を開けても暗い部屋の中にはそれらしい光も特にはないから、
あの瞼の裏で動くものの元の形は何から来ているのだろう。
それは、雲が数分後にはすっかり違う形になってしまうのと同じ様にどんどん変化していく。
自分の動かしたいように動かせるような、まったくダメなような。
そんなことを考えているうちに、眠ってしまう。

ついでにさらにもう少し言えば、
本当に不思議なのは、見えていない方の暗闇。
目があって、何も見えていないって、それってなんなんだろうと考え出したら
むかしも今も、眠れなくなる。

でも、
何も見えない、を
本当に
上手にできる
と、
あっという

に、













[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-03-22 23:27 | なんてことない話 | Trackback | Comments(0)

ほおずきとは!

知らなかった。
グリーントマトがトマトとは別の、ほおずき科の植物だったなんて。

NY在住の日本人の方のお料理ブログを時々見ているんですけど、
そこに記載されていたエンチラーダのレシピ
これを読んでいて知りました。

日本では、映画「フライドグリーントマト」が一番有名、ってくらい
本物のグリーントマトなんてみかけないよね。
私は一度だけ食べたことがあります。
渋谷の、何料理屋だったかなあ。
周りにトウモロコシの粉をつけて軽く揚げたものだったような。
それに蜂蜜をちょっとつけて食べるの。
期待通り美味しかったのだけれど
私には小さいの一切れしか回ってこなくて、もっと食べたかったなあという
半端に食いしん坊な感じの記憶。
あれも本物だったのかしら?ほおずき?
ガリガリしたトマトみたいな感じだったけど、、、

ト、深く掘り下げることもしないまま、今日はこれにて。
なぜって?
ここ数日は久しぶりにちゃんと料理してごはん食べてて、
今日もこれからおうちごはんだからだよ。
だからこそ、この「ニューヨークおうちごはん」をのぞく気分だったんだろうな、たぶん私。

今日の夕食はチキンマカロニグラタンです。
ん、いまいちピンとこないな。
鶏肉のホワイトソースを作ったので、マカロニグラタンにします。
うん、こっちの方がピンときました。
そんなごはんです。

では失礼して、いただきます。
(いや、焼くのはこれからなんだけど)
[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-03-04 20:58 | 食べるもののこと | Trackback | Comments(2)
池袋の東京芸術劇場シアターウエストにて本番中。
寺山修司作品を上演する<青蛾館>の男装音楽劇「宝島」で、歌ったり演奏したりしています。

数日前、劇場帰りの夜遅くにSEIYUで買い物。
カスピ海ヨーグルトと、焼き鮭と、豚肉と、
最後にレジ前で、あ、卵なかったな、と思い出したので6コ入りを持って並んだ。
順番がきて、ピッ、ピッ、とやったあとにレジのお兄さんが心持ちうれしそうな声で言ったよ。
「ちょうど1000円です!」

あらまあそれは奇跡の1000円。端数がいっぱいついてるのに合計1000円だなんて!
でも私そのときちょっと疲れていて、しかも予想外のことだったもんだから反応が遅くて
フツーに「はい」と言って1000円出しちゃったのだけど
もっと元気なときだったらもう少しね、、、
彼のうれしそうな「ちょうど1000円です!」に応えて
明るい雰囲気を醸し出した「はい」を言えたんじゃないかなってね、、、
あー、残念だったなー、
彼の気持ちを汲んで、ちゃんと共感したってことを伝えたかったなー、
明るい「はい」で。

「宝島」は明後日2/11日曜日13時で終わり。
演劇をやっていて思うのは、同じ時間は二度と来ないんだなということ。
まあ、他にも色々思うけどね。

そう思うと、うふふ、
あのとき卵がないことを思い出さなかったら出会わなかった「ちょうど1000円です!」。
あの時間も二度と来ないのです。
うーん、考えれば考えるほど悔やまれる。
すまん、レジのお兄さん。
[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-02-10 00:58 | 昨日とか今日のこと | Trackback | Comments(5)

大寒波の身支度

いま、実は本番間近の稽古中。
それで連日わりと遅めの時間に帰宅しているのだけど
昨日はこの寒さを実感しました。

むかしむかしに買ったコートがとっても暖かくて
もうほんとに古いから見目美しくないんだけど
雪の日のことを考えると毎年捨てられなくて
雪が降るとやっぱりそれを着てしまう。
すごーく軽いのに、めちゃめちゃあったかい不思議なコート。
着た時にいかにもポカポカって感じはないのに
外に出ても寒さを感じないもんだから気温について誤解しちゃうくらい。

ところが昨日、そのコートのおかげで体は暖かいのに
実際の外気温は非常に低いから頭が相当冷えたらしくて頭痛の気配がした。
こりゃ危ない、頭から風邪をひく。と思って
まさか使わないわよねーと思いながら半信半疑で持って出た帽子をかぶった。
紫色の、毛糸の帽子。
みんなが「毛糸の帽子」から想像するものよりも
ずーっとカワイイ毛糸の帽子。

そしたら頭痛もすぐになりを潜めたから
氷で滑らないように気をつけつつ、チャッチャカと帰りました。

ところでその頭痛の気配を感じたのはSEIYU店内でした。
このSEIYUの一階レジ辺りは、はっきり言って相当の寒さ。
毎年お店の人が心配なんだけど、いやあほんと、この大寒波じゃ本当に気の毒。
[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-01-27 15:48 | 昨日とか今日のこと | Trackback | Comments(4)
驚いた。
「雪」という単語で検索してみたら
私はこのブログで20本も「雪」という言葉の出て来る文章を書いている。

そんなに自分が雪好きだとは思わなかったなー。
全然忘れていた文章も出てきて、ちょっといいじゃない、なんてのも出てきて
でもそれでも、何年も前のほとんど知らないような文章でも
やっぱり自分が書いたってことは明らかな自分度合い。
その不思議さ。

事の発端は、昨日書いた下北沢の雪散歩について
あの時書かなかったわけがないなあと思ったから。
そして、やはり書いていました。
しかも正に同じ音について。
タイトルは[雨の日の音−雨=雪どけの音]
ほらね、同じことに注目してたよ。

ところで、この「暦の暦(れきのこよみ)」ブログ内の記事を検索する場合は
右上の検索窓ではなくて、プロフィール写真下のカレンダーの下にある窓を使います。
(あくまでもPC用ページでの話なのですが)
私は自分が「あのこと書いたっけ?」という時に、使います。
それについて自分が書くとしたら絶対に使うであろうワードを入力して検索する。
そうすると、全然関係ないトピックも同じ言葉が使われているというだけで集合してくるからおもしろい。
そんな風に、むかしむかしのも読んでみてもらったらいいな。
私が忘れてるくらいだから、一度読んでくれていたとしても、みんなもきっと忘れてる。
[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-01-24 00:46 | なんてことない話 | Trackback | Comments(0)
東京に雪、ふりつむ。

明日の朝までつづくのかしらね?
さっき窓を開けて外を見て、やっぱり静かで綺麗だなあと思って
いつもだったらもっとうっとりするところなのだけれど
でも今夜は早々に、つもった雪が溶けるときのことが頭をかすめた。

太陽が出ているか、出ていないか、、、わからないけれど、もう雪も雨もやんでいる昼間。
雪に音を吸い込まれて、住宅街も町もなんとなく耳がつまったみたいに静かな昼間。
屋根や木の上から雪が「ドサッ」と音を立てて落ちる。
二階の屋根から水が滴り、一階の軒に「バタバタバタバタ、、、、」と当たる音がする。

何年か前の大雪の翌日、下北沢の駅から近い住宅街で
その「バタバタバタバタ、、、、」という音を聞いたことをなぜかとてもよく覚えている。
それで、雨が降っていないのにこの音が聞けるのって
すごく貴重な気がする、と思ったのもよく覚えている。

あの日は、ものすごい着膨れをして芝居を観に行ったんだけど
そのあとの散歩の方がよっぽど長かった。
一人きりだったけど一人っ子の本領発揮、とっても楽しくて、
あんなにいい雪の散歩、なかなかできないな。
こんなに大人になってから、こんなに新鮮な雪の思い出ができるなんて
私ってラッキー。
[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-01-22 23:56 | 昨日とか今日のこと | Trackback | Comments(2)

社会の中の音楽

人はどうしてそんなに音楽が好きなのか。
それは音楽が好きだということなのか。
以前も書いているのだけれど、いつになっても本当のところが全然わかりません。

音楽にはいい瞬間がたくさんあって、世界の中で音楽こそが成し遂げていることがあるとは信じている。
それに日常的にも、音楽やってるときには、音楽いいな、と思うことはもちろんあって、
でもそれでも、音楽好きですか?と聞かれると、答えには迷う。
いつでも音楽がなければいられないタイプじゃないのは明らかだ。
好きな音楽はあるけどね。
すごく好きな音楽もあるけどね。

それで、なんでそんなこと言ってるかと言ったら、電車の発車メロディーですよ。
駅でよくわからないメロディーが鳴るようになって、一体どのくらいの年月が過ぎたんでしょうね。
いい加減慣れたので、仕方ないとは思うものの、好きとは思えない。
発車ベル音、よかったのにな。

でね、丸ノ内線はずいぶん最近までプーーーーーという電子音のベルだったけど
ある時乗ったら音楽になっていて、「丸ノ内線よ、お前もか」と思った。
しかしそれも最近と思ってるけど、もう10年くらい経っちゃってたりしそうね、、、。

それでね、数日前に東西線(東京メトロ)に乗ったらですね、
これまた発車ベルが!メロディーになっていたんですよ!一体いつから!
それでねそれでね、ほんとにこれがね、ほんとにこれがもうね、
ああ、具体的には思い出せないんですけど、これがね、ああ、、、
ちょっと打ち込みのカラオケ風味の音質、曲調でね、
まあね、私の個人的な好みの問題なのかもしれないですし、
あまりはっきりとした強い言葉は控えましょうと思いますけれどもね、、、
唱歌的でも童謡的でも演歌的でも阿波踊り的でもアトム的でもエビスビール的でもなく
ああ、すでに発車メロディーは次の段階に入っていたのですよ、私の知らぬ間に。

でも、でも、そうなると立ち戻ってしまうのは、
どうしてベル音じゃいけないのかなあっていうところね。
みんな電車で、駅ごとに音楽を期待してるの?
人それぞれの好みってどうなっちゃうの!?
音ってなかなか排除しにくいから、これはある種の暴力ではないの!?
電車で仕事とか勉強とかしてる人がいるでしょ、その一環で私は楽譜を見てることがあるけど
2〜3分毎に関係ない音楽が鳴るのは、けっこう迷惑。

世の中には音楽と善を同一視しすぎるきらいがあるね。
音楽好きな人に悪人はいない。は、地続きだ。
んなわけない。

発車メロディーの中には、善人か悪人かで言えば明らかに「善人」な感じのものも多いし、
私としても、ある種の愛嬌みたいなものを感じ取ることまでを拒否しているつもりはないけれど
でも人々が善意を表す道具として音楽を使おうとすることには
もう付き合いたくないと思ったりしている。

以前、とある大きな街の駅前で、平和のためのイベントをやっていてね。
「すべての武器を楽器にかえて」みたいなキャッチフレーズだったんだけど、
そこで歌い、奏でられている音楽がものすごくうるさい。
私はブツブツ言いながらも遠回りして別の口から駅に入ったけれど
この日、この平和イベントは、こんなにも平和主義な私に、
「すべての楽器を武器にかえて撃ってやる!」という、
笑っちゃうくらい反社会的なキャッチフレーズを掲げさせた。

音楽って、なんなんだろうなあ。
難しいなあ。
[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-01-21 01:45 | これは音楽のことかもしれない | Trackback | Comments(0)

罪ではない口走り

数日前のお昼頃、近所の商店街で前を歩く女性が携帯電話で話をしていた。
それほど大きな声ってわけじゃないけど、歩いているし、言葉は結構はっきり聞こえる。
まず飛び込んできた言葉は、「海老は何本?」。
相手はたぶん、、、高齢のお母さんかな。
話し方からして、肉親か親族か、とにかく家族の話し方だったからね。
「海老は何本?」となると、なんだろう、買っていく海老の本数?
一緒に暮らしているのか、別に暮らしているのか、とにかく夕食の相談だな。

そんなことを思っていると、「じゃあ六時ね、六時にお店ね」。
あ、自宅で海老を料理するわけじゃないのね?
海老が何本、なんて話してて「お店」ってことは、天ぷら屋さん?
天ぷら屋さんの予約をとるのかしら?

そんなことを思っていると、「コバチワ?」。
なにそれ?と私は思った。
どうも相手(お母さん)にも通じなかったらしい。
女性の声が突然、ほんとに突然大きくなった。
「コバチワ!!??」
まだ通じない。私にも通じない。
一段と大きくなる声。
「コ、バ、チ、ワ!? サラダとか!!豆腐の!!」

あ、そうか!
これは「小鉢は?」だ。
天ぷら以外の箸休めのことを言ってるのだ!

それにしても豆腐のサラダを小鉢って呼んじゃう?!
というのは置いといて、

とにかくお母さんにはなかなかこの「小鉢は?」が通じなくて
女性はどんどんイライラしていく。
やっとこ伝わって、何かしらの回答を得て、
もう一度時間のことなどのやりとりをする頃、私は女性を追い抜いて角を曲がるところ。
背後から最後に聞こえてきた言葉は、、、「嘘つき!」。

びっくりしちゃったー。
でもすぐわかったよ。
これは電話を切った直後の言葉なんだよね。
おそらくはこの電話中に、お母さん(と決めつけていますが)は
事前に決めていたのとは何か違うことを言って、
それは女性にとって少し面倒な何かで、でも彼女は我慢していたのに
さらにたまたま通じなかった「小鉢は?」でイライラが募っていってしまったものだから
すべての会話が終わって電話を切った瞬間に「嘘つき!」と口走ってしまったのだ。

平和なお昼間の商店街に響いた言葉としては結構ショッキングではあったけれど
そんな彼女に罪はなかろーよ、と私は思うのでした。

いつもながら、ほとんどすべてが想像だから、、、なんとも言えないけれどもね、
それでもおそらく罪はなかろーよ。

イライラが詰まってしまって、それをなんとか解消したくて、
いやあ、もうそれってほんとに個人としては嫌な気持ちなのは重々承知なんだけど
実は同じようなことは世界中のみんなみんなにあったりして、
できればもっと柔らかい気持ちでイライラしないで、うまくいなしたいと思っているだろうし
だから「嘘つき!」なんて声に出して言ったことに彼女は罪悪感を持ったかもしれないけど
結局のところつまりはみんな大変なんだなあってことが私の結論。

みんな大変なんだから大丈夫よー、ってね。
それは、彼女も私も、他の人もね。
自分の問題を、そのうちうまくいなせるようになるように、
まあイライラすることもあろうけれど、気にすることないわよー、ってね。

[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-01-16 22:27 | 昨日とか今日のこと | Trackback | Comments(0)
みなさま、あけましておめでとうございます。
そして、大変ご無沙汰しています。

ここに何か書くということについては相変わらず日々考えていて、なのになかなか書かない。
それはなぜなのか、という理由は自分ではよーくわかっているのです。
新年からそんなこと説明してもナンですが、
ここまでくると新年であれいつであれあまり関係ないと思いますので書いてみます。
書いてみれば、大したことじゃないんです。
え?それだけ?というようなことなんです。

キーボードで文章を打つことそれ自体はまったく苦ではないのだけれど
実は私、ここ数年でかなり目が悪くなりましてね、ええ。
それで机の前に座って、コンピュータの画面を見ているのが結構ツライ。

ここで私の目がどんな目なのかもご説明しましょう。
右目と左目の視力が極端に違う、というか、、、両目のタイプが違うのですよ。
右目は近視、左目は遠視なんです。

こういう目の人はもちろんたまにいるんですけど、ちょっとわかりにくいのでもう少しご説明。
視力検査って、普通は遠くが見えるかどうかだけをチェックするから
子どもの頃は自分の目が今ひとつよくわからず、
単に右目は0.4とかだから悪くて、左目は2.0とかだからいい。と思っていたのだけれど
実際のところはちょっと違って、
近視の右目は近くはよく見えるんだけど遠くは苦手、
遠視の左目は遠くはよく見えるんだけど近くは苦手ということなのです。

なんにしろ「ガチャ目」なんて言葉がよく使われていて、
「疲れるでしょう?」なんて言われていたんだけど
左右を自然に使い分けていたから、近くも遠くもよく見えていて
なんら不便はなかったし、特に疲れるという自覚も頭痛もなかった。
いまもまあ、普段の生活はだいたい同じ感じです。
映画の字幕も裸眼で不便ないしね。

さて、では最近の視力低下はどういう形で起こっているのかというと!
右目も左目共に、得意な範囲が狭くなってきているようなのです!
PC画面の距離について言うと、以前は両目共に得意な距離だったのに今は両目共に苦手になっている。
いつの間にかもっと近づいて右目で見るか、もう少し離れて左目で見るかになっていたのです。
なのに視力の低下に気づいていなかった私は、無意識で座り方でそれを調節していて
腰や背中が痛くなって、椅子が悪いのかなあなんて思って椅子替えたりね、、、
まあそんなことをしていたんですね、しばらくの間。
でも一向に治らなくて、そのうち「目のせい!?」と気づいた。

ということで、やっとこ眼鏡を作ったのがおととし(2016年)の6月です。
眼鏡のオシャレなんていう初めてのこともあるから、それはそれとして楽しく作り、
さあ、それですべて解決したのか?というと残念ながら完璧ではない。
あった方がもちろんベターなんだけど、、、
なにぶん左右の目の質が違うので完全に修正すると目に悪い。というのが眼鏡屋さんのご意見。
うううー。

とりあえずかけないよりはかけたほうがPC画面(の距離)がよく見える。
文章を書くこともできなくはない。
でも私、文章を書くときにパーっと書いちゃうなんてことはまずなくて
ここに書く文章ですら、何度も読み返して文体やリズムを少しずつ書き直したりするんだけど、
その推敲の時間がつらいのです。
熟考する時間がつらいって、ツメが甘くなるから最後まで書けなくて
だから半年以上書いていなかった間も、
何度も途中まで書いては「目がつらい、、気持ち悪い、、書けねえ、、」となって挫折をしていたのです。

だからねー、今日は新年のご挨拶なんてものをきちんと書くでもなく
とにかくこんな風に、私が書いていない理由を
とにかく読み直しもほとんどせずに、ダダダーン!と出すのです。
私の文章力が下がったと思われる向きがありましたら、そんなわけですのでお許しください。

とにかくこんなダダダーン!でも、久々に書いてアップしたら
書くということが日常に戻ってくる一助になるかなと思って。
だって書くことはいろいろあるんだもん。
以前同様、日々、いろんなところで見聞きした小さなことをメモしたりしてるんだもん。

ということで、ではアップします。
ダダダーン!(この効果音もどうなのよと思うけど、おメメ厳しいのでこのままいきたいと思います)

あ、追伸でもう一つ。
ここでは文章を書く書かないの問題だから「PCの画面の距離」がフィーチャーされていますが
他にも私が最近苦手としていることがあります。
展覧会なんかに行ったとき、作品そのものはよく見えてるんだけど、
作品の横についているタイトルとか作品年など。これ見えない。

あともっと重要なものも。
お店でお洋服を見ているとき、服を見ながらさりげなく値札をチェックすることができない。
ううううーーーー、これすごい不便ですよ。

[PR]
# by rekinokoyomi | 2018-01-16 00:53 | 昨日とか今日のこと | Trackback | Comments(2)